世界映画史
初期映画史(1900年代中期〜1930年ごろ)

時はほんの少し流れまして――1902年、人類史上はじめての、ストーリーというきちんとした概念を持った映画「月世界旅行」(原題:Le Voyage dans la lune)が製作される事となりました。

これは元マジシャンであり、同時に世界初の映画監督でもあるジョルジュ・メリエスの手によるもので「SFの父」とも呼ばれる大作家、H・G・ウェルズの小説「月世界最初の人間」(原題:The First Men In the Moon)を原作としたものとなっています。

ハリウッドで名高いアメリカによるアメリカ人が作ったものではなく、後に世界の映画産業の双璧とも言えるフランス、そのフランス人の手によって、初の試みが行われたということも、実に面白い事だとぼくは思います。

ちなみにこの時期の映画はというと、一様に音声の一切使われないサイレント映画と呼ばれるものだったのですが、秒間16フレーム、14分でシーンの切り替わりのある当時としては実に画期的なものでした。
さらに世界初のSF映画ということもあって、歴史的な側面から見ても、極めて価値のある映画と言えます。ぼくの周囲のレンタルDVDショップなどでは見かけた事は無いですが、いつの日かぜひ観てみたいものです。

さらに少しだけ時は流れて、翌年の1903年、エドウィン・ポーター監督による「大列車強盗」が公開されることとなり、映画制作技術は急速に発展していくこととなりました。

しかしながら、急速な発展の陰には暗い歴史が伴うこともまたしかり、悲しいかな、映画もその例外にはならなかったのです。
映画制作技術が進歩するにつれて、拡大する市場には当然のごとく大手企業が台頭し、映画を愛する人々の心を置き去りにしたまま、アメリカでは新技術に対する特許争いが勃発したわけです。その結果として、大手9社が互いの特許を持ち寄り、管理する、モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー(Motion Picture Patents Company)が1908年に設立されることとなりました。

このカンパニーの運営方針に関しては、今から見ればもう滅茶苦茶、いえ、支離滅裂としか言いようがないもので、映画制作技術や映画制作用機材のほとんどを特許として押さえてしまい、カンパニーに参加しない(もしくはできない)企業が映画を製作しようとすれば法外な特許料を請求されるというものでした。
現代で言えば、実質的な企業カルテルのようなものですね。当時はまだ、独占禁止法のようなものも存在せず、こうした横暴もまかり通るという時代だったのです。

しかし、そこはもちろん我ら映画好きという人々の努力はたくましく、特許料を支払わずに購入できるヨーロッパ製の機材を購入して細々と映画を製作していました。ところが敵もさる者、カンパニー側は人を雇い入れ、それをしらみつぶしに摘発するという暴挙に及んだのです。そうしたいたちごっこの結果、非カンパニー側の映画業界人達は、最後には彼らの目の届かないロサンゼルスにまで逃れ、映画を製作するようになったのです。これがいわゆるハリウッド映画の始まり、ということになるのでした。
当時のアメリカ社会というのは、自由と平等の国というイメージとは裏腹に、民族差別が今よりも遙かに激しく、自らの出自を偽る映画関係者が多かったそうです。これもまた悲しいことだったと思います。

ちなみに、モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニーは、1915年にようやく成立した反トラスト法(いわゆる独占禁止法)違反であるとの判決を受け、1917年には解体される憂き目と相成りました(当然の事ですね)
しかし、解体されても元は映画業界人、カンパニーの参加業者達もハリウッドに移り、映画制作を続けていたようです。個人的には、それほどの弾圧をした者達をよく受け容れられたものだと感心させられますね。

それにしても、最初のストーリー映画が誕生して、たったの5年かそこらでこれほどの産業に見違えるほど成長し、このような歴史が作られてゆくのだから面白い。当時の人々の情熱のほどが伺えます。まさにアメリカンドリーム、夢のある時代だったのだなぁと。

その後、1927年になって、世界初のトーキー(音声つきの映画)「ジャズ・シンガー」が公開されることとなります。製作したのは、もはや語るまでもないほどに有名な「ワーナー・ブラザーズ」であり、映画史上初のセリフは「お楽しみはこれからだ!」(You ain't heard nothin' yet!)お見事、まったくその通りのお言葉です。

ちなみに、トーキーが出現する以前の映画はサイレント映画と呼ばれ、音声のないものであることは前に書いた通りなのですが、そのころの日本では「活動弁士」という職業が存在していました。
なにをする仕事かといいますと、音声のない映像を喜怒哀楽の感情を込め、時に激しく、時に優しく、訴えかけるように語ってくれるのです。
舶来物をそのまま取り入れるだけでなく、日本的に親しみやすく再編する…いやはや、日本人というものは昔も今も変わらないもののようです。

1929年、かの有名なアカデミー賞がスタートします。
世界初のアカデミー賞受賞作品は、ウィリアム・ウェルマン監督製作の「つばさ」です。いわゆる航空映画の元祖とも言える作品で、仲たがいしながらも戦場に赴く兵士の友情と恋愛を描いた作品でした。
ただ、あくまでも個人的な感想なのですが、映像は素晴らしかったものの、人物の情景描写に若干不足していると思える点が多く、感情移入しにくかったのが難点だなと思いました。

それから最後に、アカデミー賞で有名なオスカー像は、名前の選考会議に決めかねていた場に現れた女性が「私のオスカーおじさんにそっくり!」という一言がきっかけとなり、あまり関係の無いスタッフの親戚のおじさんの名前になってしまったことは、ちょっとしたユーモアのある歴史です。

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